はじめまして、番頭の河端と申します。
昨年縁あって飯尾醸造で働くことになり、夫婦で長野から宮津へ移住して1年が過ぎました。
毎日が新鮮で、素敵な職場のメンバーに恵まれて日々楽しく暮らしています。

20年程前からユーザーとして飯尾醸造と繋がっていましたが、内側に入ってみると当然ですが知らないことばかりで日々新たな学びがあります。
その中で私が最近興味を持った話が先日販売部 加古川が記載した包装紙の今昔です。

130年以上の歴史を誇る飯尾醸造において当時はどんな社会背景や考え/意図があって今のデザインに至っているのだろう?その歴史の一端を知ることや後世にそれを伝えていくことには大きな意味があるのではないかと考え、包装紙を手掛けた先代四代目の奥様(以後、お酢屋母)にお話を伺いました。


●初のギフト包装紙
宮津の旧国名 丹の国(にのくに)をモチーフに富士酢ロゴは丹(赤)→丹朱いろ、地色は深いモスグレー(和名は苔いろ)に・・・宮津の歴史と富士酢の高品質を表すための格調高いデザイン
丹の国

お酢屋母が飯尾醸造に入社された1970年代当初、富士酢の認知度は自然食品業界や一部生協などに限られていたとのこと。低い認知度だからこそ、高級感のあるデザインにすることで富士酢の品質の高さの認知度向上を図ったそうです。

また、当時はお酢がギフトとして使われることの少ない時代ではあったものの、数少ない富士酢ユーザーの声に応えて初めて包装紙を作成されたそうです。

●自然米酢 富士(現在の純米富士酢 当時のラベル)
自然米酢富士酢



●若い世代向けギフト包装紙
すてきギフト

●すてきギフト3本セット
3本セット

少しづつ認知度や取引が増えていく中、新たなユーザーを獲得することを目的に若い世代向けのギフトとして別路線の包装紙と容器を展開したそうです。

容器はまあるい瓶で少容量300ml、包装紙は若い女性がその容器を手にして使いやすそうな製品であることを表現しています。



●二代目ギフト包装紙
富士

それから少しづつ順調に品質の高さや美味しさが世間に浸透していくとともに、製品ラインナップも徐々に増えていったそうです。

一方で、百貨店の催事やTV/雑誌の取材も増えていく中、お酢屋母としては製品のラベルデザインや包装紙/手提げ袋、のれんなどに統一感がないことを何とかしなければならないという問題意識も徐々に大きくなっていったとのこと。

複数のデザイナーに依頼したり、自分なりにデザインを考えてみたりと試行錯誤が続く中、たまたま覗いた京都高島屋の個展 棟方志功の赤富士を見て「私の求めていたものはこれだ!」と瞬間的に閃いて、すぐに東京のデザイナーに自分のイメージを伝えて出来上がったデザインが今の飯尾醸造のメインビジュアルである富士のデザインだそうです。



●現在のギフト包装紙(三代目)
稲穂

現役の包装紙である稲穂のデザインもお酢屋母のアイデアで生み出されたものだそうです。このデザインは棚田の無農薬の稲穂の束を表現しています。こちらは伊藤若冲と深い縁のある京都・相国寺(しょうこくじ)の美術品にインスピレーションを受けて自ら筆を取ってデザインし、仕上げをデザイナーに依頼して完成したものとのこと。ということはほぼお酢屋母の作品!!





こうして伺ったお話をまとめてみると、先代である四代目が質実剛健な製品を作り上げ、それをデザインとして美しく表現したお酢屋母の功績があって今の飯尾醸造があるという事実を改めて知ることが出来ました。

ユーザーとして利用していた時から製品の品質と美味しさ、会社としての取り組みの素晴らしさだけでなく、気品ある美しいデザインも富士酢の魅力だと感じていましたが、今回過去の歴史を知ることで、今まで以上に製品の品質やブランドの世界観を大切にしたい、しなければならないと強く思いました。